「…………なんだか、唯さんって個性的なお友だちですね」「唯ちゃんはアニメのオタクなの。貢、お願いだから引かないでね……?」「引きませんよ。僕は偏見なんてありませんし、大好きな絢乃さんの大事なお友だちですから」 なかなかに強烈な個性を放つ親友に、彼が引いてしまわないか心配だったけれど。「引かない」と断言してくれた彼は本当に器の大きな人だと思った。「――ところで、唯ちゃんは今日デート?」「うん♪ 浩介(こうすけ)クンと初めてのデートなんだぁ♡ 三階のシネコンで映画観るの」「そっか」 浩介さんというのが唯ちゃんの彼氏さんの名前で、一つ年上の大学生だと聞いた。ちなみに二人の共通点は、同じアニメ作品が好きだということらしい。「そういう絢乃タンたちは? やっぱりデート?」 唯ちゃんが小首を傾げながら訊ねた。 この日のわたしの服装は、七分袖のTシャツの上から薄手のカーディガンを羽織り、スキニーデニムに淡いピンク色のフラットパンプスというちょっとカジュアルダウンした感じだった。貢と一緒だったからデートだと分かったんだろうか。「うん、まぁね。彼のお誕生日がもうすぐだから、今日彼のお家で早めにお祝いしようってことになって。お料理の材料とかプレゼントとか一緒に買いに来たの」「そっか、お家デートかぁ。いいなぁ……。あ、シネコンっていえば、今日小坂リョウジさんがそこで映画の舞台挨拶するんだって。里歩タンなら喜んで観にきてたかなぁ」「小坂さんが? 里歩も来なかったと思うよ。ファンやめたらしいから」「そうなんだ?」「うん。――あ、ゴメンね唯ちゃん。わたしたち、そろそろ行くから。また連休明けに学校でね」「唯さん、失礼します」「は~い☆ じゃあね、絢乃タン」 ――彼女はその後、待ち合わせをしていた彼氏さんから連絡があったらしく、スマホの画面を見ながらフラフラと歩いて行った。「――絢乃さん。小坂リョウジさんって」「そう。あの人、女性にだらしないっていうか、節操ないらしくて。わたしは別にファンでも何でもなかったし、貢以外の男性は眼中になかったからね」「絢乃さん……」 わたしが彼の腕を取ってニコリと微笑むと、彼はまるで思春期の男の子みたいに頬を真っ赤に染めていた。「……ん!?」「どうしたの、貢?」 ――急に険しい表情を浮かべた彼に、わたしは首を傾げた。「
――時計店を何軒か回って貢のプレゼントを購入し、代々木にある彼のアパートに到着したのは午後三時半ごろだった。「へぇ……。貢ってけっこういいところに住んでるんだね」 重いエコバッグを提げた彼に先導されて、彼の部屋がある二階への外階段をゆっくり上がりながら、わたしは初めて訪れた彼の住まいの感想を言った。 築二十年だというコンクリート二階建てのアパートは白を基調としたモダンな造りで、全部で八部屋入っているらしい。彼の部屋は二〇四号室で、間取りは1(ワン)K。代々木という土地柄もあって、家賃は月十二万円ということだった。「ありがとうございます。このアパートには社会人になった年から住んでるんですよ。家賃は高いですけど、その分住み心地はいいんで」「そうなんだ……。ウチの会社、経理に申請したら家賃補助も出るからね。家計が苦しいなら一考の余地はあると思うよ」「そうですね、家賃補助を受けられたら生活もだいぶ楽になるでしょうね。考えてみます。――さ、狭い部屋ですがどうぞ」 彼は鍵を開けて、わたしを住まいへ招き入れてくれた。「おジャマしまーす。……へぇ、キレイに住んでるね。慌てて片付けたようには見えないなぁ。普段から片付いてるって感じ」 わたしはまじまじと室内を見回してみた。リビング兼寝室兼ダイニング、という感じのお部屋には座卓とベッドが置かれているだけだったけれど、収納スペースに恵まれているおかげで物が散らかっておらず、広々と感じられた。 キッチンとトイレ・洗面所・お風呂が一体となったユニットバスはそれぞれ居住スペースから独立した形で配置されていて、使い勝手もよさそうだった。「男の人のお部屋って、もっとゴチャゴチャしてるイメージしかなかったから。さすがは几(き)帳(ちょう)面(めん)なA型って感じだね」「…………お褒め頂いて恐縮です」 彼は照れたようにボソッと言って、「バッグはベッドの上にでも置いといて下さい」とわたしに荷物の置き場所を伝えた。「キッチンはこっちです。エプロンもちゃんとありますからね。兄のなんでちょっと大きいかもしれませんけど」「うん、分かった。ありがと」 キッチンは玄関を入ってすぐ右側にあって、IHで調理するタイプの二口(ふたくち)コンロがついていた。調理器具も意外と揃っていて、圧力鍋まであったのにはわたしも驚いた。
「ここにある調理器具って、貢が買い揃えたの? っていうかお料理するの?」 デニム地のエプロンを着けながら訊ねたわたしに、彼は「いえ」と首を振った。「これ、ほとんど兄の持ち込んだものですよ。時々ここに夕飯を作りに来てくれるんで。僕も兄の手伝いで下ごしらえとか簡単なことくらいはできますけど、ちゃんとした料理はあまり得意じゃないですね」「え、そうなの? じゃあ、毎日のゴハンは?」「週末は近所にある実家で食べてます。平日は……兄に作ってもらったり、外食やコンビニ弁当とかですかね」「あらら、なんか栄養バランスが心配な食生活だね……。今はわたしと一緒にお食事して帰ってるからまだマシかな」 何だか侘(わ)びしい彼の食生活に、わたしは軽いショックを受けた。彼の場合、栄養管理はご実家ありき、ご家族ありきだったようだ。というか、ひとり暮らしの若いサラリーマンの食生活なんてこんなものだろうか?「そうだ! よかったら、これからはわたしも時々ここでゴハン作って一緒に食べようか? お休みの日だけでもよかったら」「えっ、いいんですか!? すごく嬉しいし助かります!」 わたしの提案に、彼は大喜びした。「――じゃあ、カレー作り始めよっか。まずは野菜の仕込みからね。貢には……ニンジンとジャガイモの皮むきをやってもらおうかな。ピーラーでも包丁でも、やりやすい方で。手、ケガしないように気をつけてね」「分かりました」 彼に手伝ってもらいながら、わたしは手際よく材料を炒め、お米を洗って炊飯ジャーにセットし、カレーの隠し味となるリンゴをすりおろし、手早くサラダを作った。 そして煮込み始めて三十分後(下ごしらえやら何やらでゆうに一時間以上を費(つい)やしていたのだ)、カレーライスのお皿とサラダボウル、ケーキのお皿などが並ぶ座卓を二人で囲んで乾杯をした。飲み物は二人ともサイダーだ。飲み物は二人ともサイダーだ。わたしは炭酸が苦手ではあるけれど、飲めないこともないのだ。「――では、ちょっと早いけど、貢のお誕生日を祝して……」「「カンパ~イ!」」 グラスの中身に口をつけてから、カレーを食べ始めた。「……うん! お肉ホロホロになってる~♡ 美味しくできたねー。辛さもちょうどいいし」「ええ、美味しいです。ジャガイモを大きめに切ったのが正解でしたね。あと、飴色になるまで炒めた玉ねぎが効いて
首を傾げた彼に対して、わたしは思いっきり直球を投げた。「どう……って。そりゃあ僕にだって結婚願望くらいはありますよ。その相手が絢乃さんなら言うことなしですけど……。まだ早すぎるんじゃないかと。絢乃さんはまだ高校生ですし、喪中でもあるわけですし」「うん、それはわたしも分かってる。もちろん今すぐにどうこうっていう話じゃないけど、なるべく早い方がいいな、って」「…………それは、分かりましたけど。僕でいいんですか? 自分で言うのもナンですけど、僕の家はそんなにいい家柄というわけでもないですよ? ……まぁ、そこそこ裕福ではありますけど」「別に家柄で結婚するわけじゃないもん。そこは気にしなくていいよ。それに、貴方はもうすでに、わたしのお婿さん候補の筆頭にいるから」 初めて言葉を交わしたあの夜、彼が「自分を婿候補に入れてほしい」と言った時点で、もう候補には入れていた。それが半年経ったその時点では、他の候補がいなかったということもあって彼が婿候補のトップになっていたのだ。「わたし、本気だよ」 その言葉に嘘いつわりがないことを証明するため、わたしは初めて自分から彼にキスをした。それまでのわたしはただ受け身でいるだけだったけれど、そろそろ自分からそういう行動に出るべき段階に来ていると思ったのだ。「……これで分かってもらえた? わたしが本気だってこと」「はい。ですが…………」 彼はそこで言葉を切り、そして――。「ん……っ」 わたしにキスを返してきた。何度も何度も繰り返し唇を重ねてきた。「……貢って、キス上手いよね」「そんなことないですよ」 彼は謙遜するけれど、やっぱり八年の年の差と、それなりに恋愛経験もあるからだとわたしは思った。「僕も絢乃さんのことが大好きで、すごく大事な人だとは思ってますけど。すぐには結婚とか考えられないんで、少し考える時間を下さい」「…………うん、分かった」 彼がすぐに結婚に踏み切れない理由は、わたしの年齢や家柄の違いだけじゃない。もしかしたら彼自身にもあるのかもしれない、とわたしは思った。 やっぱり悠さんがおっしゃっていたとおり、彼はまだ過去の恋愛で起きた何かをまだ引きずっているんだろうか、と。
――貢に「考える時間がほしい」と言われてから一ヶ月が経過した。 六月に入り、学校の制服も衣更えをした。。夏服は少しピンクがかった半袖のブラウスに白地に赤のタータンチェック模様が入ったプリーツスカート、それに冬服と同じ赤いリボン。名門女子校らしく、洗練されたデザインだ。 わたしの学校生活では最後の夏服シーズン突入で、貢は初めて見るわたしの夏の制服姿も「可愛いですね。よくお似合いです」と言ってくれた。それは嬉しかったのだけれど、わたしの気持ちは梅雨(つゆ)時のジメジメと、彼に一ヶ月も待たされ続けていたモヤモヤであまりスッキリしなかった。「だからって、こればっかりは返事を急かすわけにもいかないしなぁ……。どうしたもんかな」 彼が給湯室へコーヒーの準備をしに行っていて一人になったのをいいことに、わたしはデスクに頬杖をついて盛大なため息をついた。 結婚というものは、わたしだけの意思で決められるわけじゃない。彼の気持ちを無視しては進められない。だから、彼がそこのところをどう考えているか、キチンと話をして確かめたかった。でも、彼が「考えさせてほしい」と言っている以上、なかなかそのタイミングがつかめずにいたのだ。 もちろん交際そのものは順調で、彼と別に気まずい空気になっていたわけでもないのだけれど。今ひとつ前に進めないというか、ちょっとした引っかかりがあるというか、何だかもどかしい気持ちになっていたことは確かだ。「貢、一体何が引っかかってるんだろ? やっぱり過去に何かあって、それを未だに引きずってるのかな……」 いくら気になるからといって、彼に正面切って「過去に何があったの?」とは聞きづらかった。彼のプライバシーにズカズカと土足で踏み込むようなことはしたくなかったので、彼の方から話してくれるのをひたすら待つしかなかった。「もしくは外堀から攻めるか……。悠さんに訊いたら教えてくれるかな?」 わたしは勢い込んでスカートのポケットからスマホを取り出し、悠さんにLINEで訊ねてみようと思い立ったけれど、「ダメダメ!」と正気に戻った。よそ様の兄弟ゲンカの種を作り出してどうするの!? ともう一人のわたしに叱られた。「……やっぱりやめた」 もう一度ため息をついてスマホをポケットに戻し、PCに視線を戻した。「――お待たせしました、会長。今日は蒸し暑いので、アイスカフェ
「……美味しい。市販品とは薫りが違うね」「畏れ入ります。――ところで絢乃さん、ひとつお願いしたいことがあるんですが」「ん? なぁに?」 ……来た。この切り出し方は会長秘書・桐島さんではなく彼氏モードになっているということだ。「ここでは何なので、応接スペースで。……プライベートな話なので」「うん、分かった。じゃあ移動しよう」 応接スペースのソファーセットに向かい合わせて腰を下ろすと、わたしは彼に話を促した。「――で? わたしにお願いって?」「ええとですね……。そろそろ、ウチの両親に絢乃さんのことを紹介したいんですけど。大丈夫でしょうか?」「えっ? それは別に構わないけど……。もしかして、結婚考えてくれる気になった?」「それはあの……、まだ追い追いということで」「……なぁんだ」 わたしは期待を込めて彼に確かめたけれど、期待外れな返事が返ってきたのでガックリと肩を落とした。「あの、それは別としてですね。絢乃さんには僕の〝彼女〟として両親に一度会ってほしいんです。……このごろ、週末は絢乃さんが食事を作りに来て下さるようになったので、両親が淋しがっているというか。僕はここ数年恋愛そのものから遠ざかっていたので、親が心配しているようなんです。それで、一度顔合わせしてもらって、安心させたくて」「はぁ、なるほどね。つまり、ご両親に『こんな自分にもちゃんと彼女ができたんだよ』って、わたしをご両親に見てほしいわけだ」「そういうことです。……お願いできますか? ウチの両親はいつでも構わないそうなので、日程は絢乃さんのご都合に合わせますから」 心優しくてご両親思いな彼の気持ちも分かるし、何よりわたしも彼のご両親には一度お会いしたいと思っていた。母には交際を始めた時に報告できたけれど、彼のご両親にはまだご挨拶すらしていなかったのでそれは不公平だと感じていたし。「いいよ。わたしも、貴方のご両親には一度お目にかかりたいなって思ってたから」「本当ですか!? ありがとうございます!」「じゃあ、いつがいいかな? 早い方がいいよね。今月は……四週目に修学旅行があるから、その期間以外ならいつでも大丈夫だよ」 わたしはスマホでスケジュール帳アプリを開き、予定を確認した。「今週末、土曜日あたりでどうかな?」「はい、それで大丈夫だと思います。両親にもそう伝えておきま
「でもね、わたし、冗談抜きに貴方とはいい夫婦になれそうな気がしてるの。貴方の部屋のキッチンに二人で立ってお料理してるところなんか、まるで新婚カップルみたいだなぁっていつも思ってるもん」「…………」「あくまでわたしの勝手な妄想だから、気にしないで?」 リアクションに困っていた彼にそうフォローを入れることで、あまり真剣に悩まないでねというニュアンスを言葉の端に込めた。「……あの、先ほどのお話なんですが。両親は多分、僕が絢乃会長とお付き合いさせて頂いていることを知っていると思うんです。兄がバラしていると思うんで」「そうなの? ……うん、まぁ、あのお兄さまならあり得るね」「ああ見えて案外口は堅い方なんで、他の人たちにペラペラ喋りまわっていることはないはずですけど。両親になら話しているかな……と」「なるほどね。じゃあサプライズなんてやってもあんまり効果がないわけか」「そういうことです」 もし仮に悠さんがご両親にわたしの人となりを話していたら、ご両親もわたしがどういう人間かをよくご理解されたうえで会って下さるということだ。もちろんサプライズなんて何の意味もなくなる。「よぉーく分かりました。……ところで貢、貴方が恋愛はできても結婚に踏み切れない理由って何なの?」「……えっ?」「わたしがまだ高校生だからとか、喪が明けてないからとか以外にも何かあるんじゃない? たとえば貴方自身に」「……あの、それは」「もしかして、貴方の過去と何か関係ある?」「……!」 思いっきり単刀直入な訊き方に、図星を衝かれた彼は大きく目を見開いた。それはこの問題の核心に触れたということであり、わたしは無意識に彼の心の傷を抉(えぐ)ってしまったらしい。「…………ごめん、貢。わたし、訊いちゃいけないことを訊いちゃったみたい。答えにくいことなら、無理に答えなくていいよ。貴方が話したくなったタイミングでいい。ちゃんと話を聞かせてほしいな。それまでは、わたしもこれ以上突っ込んで訊かないようにするから」「……はい。お気遣い、ありがとうございます。――アイスカフェオレ、氷が溶けて薄まってしまってますね。淹れ替えてきましょうか」 気まずくなった空気を変えようとしてか、彼は水滴だらけになったグラスに視線を移した。「うん。ありがと。じゃあお願いしようかな」 わたしは薄まったグラスの中身を
それからしばらく、わたしと貢の間には微妙な空気が流れていた。とはいってもギスギスした感じはなく、交際そのものが危うくなるようなこともなかったけれど、内心は穏やかではない、という方が正しい感じだった。 桐島家のご両親には、その週の土曜日に挨拶に伺った。貢がわざわざわたしの家までクルマで迎えに来てくれて、代々木に向かっている間に彼から聞いた。やっぱり、ご両親はわたしのことを悠さんから伝え聞いていたのだと。「両親は絢乃さんにお会いできるのが楽しみだと言っていましたよ。母なんか妙に張り切っちゃって、『今日はウチのキッチンで、絢乃さんと一緒にお料理しようかしら』なんて言ってました。多分、『一緒に夕飯を食べて帰ってほしい』ってことだと思うんで、もしご迷惑じゃなければお付き合い頂けると……」「別に迷惑だなんて……。わたしも楽しみ♪ 桐島家の一員になれるみたいで」「それはよかった。母も喜びます」 わたしの返事を聞いた孝行息子の貢も、運転席で嬉しそうだった。 賑やかな家庭の食卓なんて、もう何年ぶりだろう? わたしが幼い頃には祖父母もまだ健在で、両親と祖父母、わたし、そして寺田さんや史子さんも一緒にダイニングテーブルを囲んでいた。でも祖母と祖父を相次いで亡くし、父も亡くなったその頃には、一緒に食事するのは母とわたし、寺田さんと史子さんの四人だけになっていた。もちろん里歩が泊まりにきてくれた時や、貢も夕食を共にすることもあったけれど、二人は〝家庭の一員〟のカテゴリーから外れていたし(貢はわたしの中で、もう家族も同然だと思っていたけど)。 父亡きあと、実質母子家庭になってしまった我が家ではもう、大勢で賑やかな食卓の風景なんて当分思い描けなかったので、正直憧れていた。それに、桐島家の食事風景に加わることで、「将来はこんな家庭にしよう」というイメージが湧いてきそうな気もしていた。「――父さん、母さん、紹介するよ。この人が篠沢絢乃さん。篠沢グループの会長兼CEOで、俺の彼女。――で、絢乃さん。こちらが両親です」 ごく一般的な二階建て住居である桐島家のリビングで、貢がまずソファーセットのいちばん上座に座ったわたしをご両親に、そしてご両親をわたしに紹介してくれた。「貢! お前は会長さんを軽々しく〝彼女〟なんて呼ぶんじゃない! ……申し訳ありません、絢乃さん。愚息がとんだ失礼を
「貴方は出会ってから、わたしに色んなことを教えてくれたよね。パパの余命を前向きに捉えることとか、悲しい時には思いっきり泣いていいんだってこと、緊張した時のおまじない、それから」「えっ、そんなにありましたっけ?」 彼はここで驚いたけれど、わたしがいちばん伝えたい大事なことはこの先だ。「うん。……それから、恋をした時の喜びとか苦しさも、わたしは貴方から教えてもらったの。だから、この先もずっと貴方に恋をし続けていくよ」「はい。僕も同じ気持ちです。あなたに一生ついて行きます」「だから、それって花嫁のセリフだってば」 わたしはまた笑った。「――絢乃、桐島くん。式場のスタッフが呼んでるわよ。『そろそろフォトスタジオにお越し下さい』って」 控室のドアをノックする音がして、オシャレなパンツスーツを着こなした母が一人の中年男性を伴って入ってきた。「はい、今行きます! ――絢乃さん、では僕は先に行っていますね。フォトスタジオでお待ちしています」「うん、分かった。また後でね」 控室を後にする彼を振り返ったわたしは、母と一緒に立っている人物に目をみはった。 父に顔はよく似ているけれど、父より少し年上の優しそうな紳士――。「やぁ、絢乃ちゃん。久しぶりだね。結婚おめでとう」「聡一(そういち)伯父さま……」 それは、アメリカから帰国した父方の伯父、井上聡一だった。伯父にも招待状を送っていて、出席の返事はもらっていたけれど、どうして母と一緒に控室を訪ねてきたのかは分からなかった。「今日は、来てくれてありがとう。……でも、どうしてわざわざ控室まで?」「加奈子さんに頼まれたんだ。源一の代わりに、絢乃ちゃんと一緒にバージンロードを歩いてほしい、って。私は父親じゃないが、君の親族であることに変わりはないからね」「…………伯父さま、ありがとう……。パパもきっと喜んでくれてるよ……」 伯父の優しさが心に沁みて、わたしは感激のあまり泣き出してしまった。「あらあら! 絢乃、泣かないで! せっかくキレイにメイクしてもらったのに崩れちゃうわ」「うん、……そうだね。こんな顔で行ったら貢がビックリしちゃうよね」 慌てる母に、わたしは泣き笑いの顔で頷いた。 その後母に呼ばれたヘアメイク担当のスタッフさんにお化粧を直してもらい、わたしはウェディングプランナーの女性に先導され、母
彼はブルーのアスコットタイを結んでいる。これは「サムシング・ブルー」になぞらえたらしいのだけれど……。「貢……、それって新婦側の慣習じゃなかったっけ?」 わたしは婿を迎え入れる側だけれど、とりあえずこの慣習を取り入れてイヤリングと髪飾りをブルーにした。でも、新郎側がこれを取り入れるなんて聞いたことがない。「まぁ、そうなんですけどね。僕も気持ちのうえでは嫁(とつ)ぐようなものなので」「……そっかそっか。まぁいいんじゃない? 今は多様性の時代だしね」 何も古くからのしきたりに囚(とら)われることはないのだ。これがわたしたちの結婚の形、と言ってしまえばそれまでなんだから。「ところで貢、知ってた? ママがこれまで断ってきた、わたしの縁談の数」「いいえ、僕は聞いたことありませんけど。……どれくらいあったんですか?」「聞いて驚くなかれ。なんと二百九十九人だって!」「えっ、そんなにいたんですか!? 逆玉狙いの男性が」 彼はわたしの答えを聞いて、愕然となった。彼の解釈は間違っていない。「ママね、わたしが小さい頃からずっと言ってたの。『絢乃には、本心から好きになった人と幸せを掴んでほしい』って。よかったよー、貢がその中に入らなくて」「そうですね。これが絢乃さんにとって、いちばんの親孝行ですよね」「うん。わたし、貢となら絶対に幸せになれると思う。やっぱり、貴方とわたしとの出会いは運命だったんだよ。貴方に出会えて、ホントによかった」「僕も、絢乃さんに出会えてよかったです。もう二度と恋愛なんてゴメンだと思ってましたけど、そんな僕をあなたが変えて下さったんです。ありがとうございます」 こうして向かい合って、お互いに感謝の気持ちを伝え合えるってステキなことだとわたしは思う。この先もずっと、彼とはこういうステキな夫婦関係を築いていきたい。「絢乃さん、こんな僕ですが、末永くよろしくお願いします」「……何かそれ、もう完全に花嫁さんのセリフだよね」 思いっきり立場が逆転しているなぁと思うと、わたしは笑えてきた。「でも、わたしたちって最初っから一般的なオフィスラブと立場が逆転してるんだよねぇ」「……まぁ、確かにそうですよね」 貢もつられて笑った。今日みたいないいお天気の日には、笑顔での門出が似合う。梅雨の時期なのに今日は朝からよく晴れていて、絶好の結婚式日
――こうして、わたしと貢の関係は恋人同士から婚約関係となった。ちなみに、あの騒動のおかげでわたしたちの関係は世間的に公になったのだけれど、これは喜ぶべきだろうか? 真弥さんはあの日撮影した映像を、自分のアカウントでもXにアップしていて、その投稿は見る間に拡散したらしい。〈彼氏登場! いきなりハイキックとかカッコよすぎww〉〈彼氏、ヒーローすぎてヤバい〉 などなど、称賛のコメントと共に思いっきりバズっていた。 去年のクリスマスイブは彼と二人きりで過ごし、婚約指輪はそこでクリスマスプレゼントとして彼からもらった。小粒のダイヤモンドがはめ込まれたシンプルなプラチナリングで、多分価格もなかなかのものだったはず。彼の男気を感じて嬉しかった。 誕生日にもらったネックレスとともに、この指輪もわたしの一生の宝物になるだろう。 その夜は彼のアパートに泊まり、彼の小さなベッドの上で一緒に朝を迎えた。わたしの後から起きてきた彼と目を合せるのが照れ臭かったことが忘れられない。でも、それが結婚生活のリハーサルみたいに思えて、心躍ったのも確かだ。 三月の卒業式には、母と一緒に貢も出席してくれたので驚いた。母の話によれば、その日は一日会社そのものをお休みにしたんだとか。会長の新たな出発の日だから、社員一丸となってお祝いするように、と。「ママ……、何もそこまでしなくても」と呆れたのを憶えている。 四月最初の日曜日、両家顔合わせの意味も込めて我が家で食事会をした。料理は専属コックさんと母、わたしと史子さんで腕によりをかけて作り、デザートのイチゴのシフォンケーキもわたしが作った。桐島さんご一家のみなさんも「美味しい」と喜んで、テーブルの上にところ狭しと並べられた料理を平らげて下さった。 そこで、わたしと貢は驚くべき事実を知った。なんと、悠さんがお付き合いしていた女性と授かり婚をしたというのだ! 顔合わせの席にはその奥さまもお見えになっていて、お名前は栞(しおり)さんというらしい。年齢は貢の二歳上で、悠さんが店長を務められているお店の常連客だったそう。そこから恋が始まり、お二人は結ばれたというわけだった。……ただ、順番が違うんじゃないだろうかと思うのは考え方が古いのかな……。 そこから彼が我が家で同居することになり、二ヶ月が経ち――。 本日、六月吉日。愛する人と二人で選
「――絢乃さん、僕、覚悟を決めました。あなたのお婿さんになりたいです。僕と結婚して下さい。お父さまの一周忌が済んで、絢乃さんが無事に高校を卒業して、そうしたら。……で、どうでしょうか」「はい。喜んでお受けします!」 彼からの渾身のプロポーズに、わたしは喜び全開で頷いた。エンゲージリングはまだなかったけれど、気持ちのうえではもう、二人の結婚の意思は確固たるものになっていた。 思えば初めてわたしの気持ちを彼に伝えた時、子供っぽい告白になってしまった。でも今なら、彼にとっておきの五文字で想いを伝えられるだろうか。あの時から少し大人になったわたしなら……。「貢、……愛してる」「僕も愛してます、絢乃さん」 わたしたちは熱いハグの後、長いキスを交わした。「――ところで、絢乃さんは高校卒業後の進路、どうされるんですか? 僕、まだ教えて頂いてないんですけど」 帰り道、彼が器用にハンドルを切りながらわたしに訊ねた。……おいおい、今ごろかい。「わたしね、大学には進学せずに経営に専念しようと思ってるの。やっぱり好きなんだよね、会長の仕事とか会社が」「……なるほど」「ママは最初、大学に進んでもいいんじゃないか、って言ってくれたんだけど。最後には折れてくれたの。わたし、これまでよりもっともーっと会社に関わっていきたいから」「加奈子さん、絢乃さんに甘々ですもんね」「うん、まぁね。ちなみに、里歩は大学の教職課程取って、高校の体育教師目指すんだって。唯ちゃんはプロのアニメーターを志して、専門学校に進むらしいよ」 卒業後の進路はバラバラでも、わたしと里歩、唯ちゃんとの友情はこれから先も変わらない。きっと。
「――改めて、貴方には心配をおかけしました」 わたしはいつもの指定席である助手席ではなく、後部座席で彼に深々と頭を下げた。「ホントですよ。あれほど無茶なことはするなと言ったのに。ヘタをすれば、絢乃さん、アイツにケガさせられてたかもしれないんですからね?」 彼はまだご立腹のようだった。でも、それはわたしのことが本当に心配だったからにほかならない。「だーい丈夫だって。そのためにあの頼もしいお二人にも協力してもらったわけだし。いざとなったらボディーガードをしてもらうつもりで――。まあ、結局は貴方に助けられたわけだけど」「イヤです」「…………は?」 彼に唐突に話を遮られ、わたしはポカンとなった。「イヤ」って何が?「あなたが他の人に守られるなんて、僕はイヤなんです。あなたを守るのは僕じゃないとダメなんです。……すみません、ダダっ子みたいなことを言って」「ううん、別にいいよ。貴方の気持ち、すごく嬉しいから」 むしろ、ダダっ子みたいな貴方が可愛くて愛おしくて仕方がないんだよ、とわたしは目を細めた。「でも、今日ほどわたしは貴方に守られてるんだなって思ったことはなかったかも。ホントにありがと」 わたしはいつも、自分が彼を守っているんだと思っていた。でも、時々こうやって自分を顧(かえり)みずに無茶なことをしでかすわたしを助けてくれているのは貢だった。それは秘書としても、彼氏としても。「わたし、いつもこうやって貴方のことを助けてるつもりでも、結局のところは貴方に助けられてるんだね」 父の病気が分かってショックを受けた時、父が亡くなった時、親族から心ない罵声を浴びせられた時。それから会長に就任した時もそうだった。彼はいつもさりげなく、わたしの心の支えとなってくれていたのだ。彼の優しくて温かい言葉に、わたしはどれだけ救われてきたか分からない。「今ごろ気づかれたんですか? 僕の大切さが」「……うん、ごめん。でもありがと」「それにしても、僕を守るなら他に方法くらいあったでしょう? あえて僕と離れて、中傷の目を遠ざけるとか」「それは、わたしがイヤだったの。たとえ貴方を守るためでも、貴方と離れるなんてダメだと思った。だったら、一緒にいながら貴方を守る方法を取った方がいい、って。……まぁ、その分お金はかかったし、ちょっと危ない橋も渡っちゃったけど」 傍から見れば
――作戦は無事成功したものの、わたしは何だかワケが分からなかった。わたしもまたドッキリにかけられたような気持ち、というのか……。「……どうして貢がここに? 打ち合わせでは、あの場で登場するのは内田さんだったはずじゃ」「ああ、内田さんから連絡を頂いたんです。今日、絢乃さんが危ない目に遭うかもしれないから、新宿駅前に来てほしい、って」「相手が激昂してる時に、見ず知らずの男が現れたら事態が余計に悪化するかもしれないと思ってな。ここは格闘技を習得した彼氏に花を持たせてやった方がいいかな、って」「内田さん、そういうことは事前に教えておいてくれないと。わたしをドッキリにかけてどうするんですか!」 そういう問題じゃない気もしたけれど、わたしはとにかく一言抗議しないと気が済まなかった。「悪い悪い。でも、桐島さんが間に合ったんだからよかったじゃん」「そうですよ! 僕が間に合ったからよかったですけど、下手したら絢乃さん、本当に危ないところだったんですからね!?」 彼が怒っているのは、わたしのことを本気で心配してくれていたからだ。だからわたしは叱られているのに嬉しかったし、自分の無謀な行動を猛省した。「……ごめんなさい」「でも、無事でよかった……。本当によかった」 彼は深いため息をつくと、ここが公衆の面前だということもお構いなしにわたしをギュッと抱きしめた。「ちょっ……、貢……?」 彼はわたしを抱きしめたまま震えていた。泣いてはいないようだったけれど、それだけでわたしへの心配がどれくらいのものだったかが伝わってきた。 わたしは彼の背中に手を回し、そっと背中をさすった。父の葬儀の日、泣けなかったわたしに彼がそうしてくれたように。「ごめんね、貢。心配かけちゃって、ホントにごめん。……でも、心配してくれてありがと。もっと他に方法はあったはずなのにね。わたし、これくらいの方法しか思いつかなくて」 路上で抱き合っていると、周りが何だかザワザワと騒がしくなってきた。「……とりあえず、クルマに乗って下さい。話はそれからです」「そう……だね」 これ以上のイチャイチャは人目が気になるので、わたしたちは彼のレクサスへと移動することにした。「じゃあ、あたしたちもこれで撤収しまーす♪ あとはお二人でどうぞ♪」「絢乃さん、オレたちこれで五十万円分の働きはしたよな?」
何が起きたのか分からずパニックになっていたわたしを庇うように立ちはだかり、小坂さんにハイキックを一発お見舞いした。「ハイキック、初めて当たった……」 「…………!? な……っ」 一瞬で吹っ飛ばされた小坂さんは、この状況が吞み込めないらしかった。 わたしも呆然となっている場合じゃなかったと気を取り直し、強気な顔に戻った。「真弥さん、今の撮れた?」「はいは~い♪ もうバッチリ」 わたしが目配せすると、建物の陰からスマホを構えた真弥さんと、その後ろに控えていた内田さんが姿を現した。「アンタの裏アカ、あたしが乗っ取っちゃいました☆ 今ねぇ、この様子の一部始終が全国のアンタのファンに垂れ流されてんの。これでアンタ、俳優としても終わったねぇ。はい、ご愁傷さま」「小坂さん、貴方はこれまでにどれだけの女性を弄んで傷つけてきたんですか。女性だけじゃない。わたしの大切な人まで晒しものにした! 貴方、人の気持ちを何だと思ってるんですか! わたし、貴方のことを絶対に許しませんから!」「あんた、どうせ逆玉狙って絢乃さんとお近づきになりたかっただけでしょ? もうバレバレ。甘いんだよ、その考えが」 せせら笑うようにそう言って、真弥さんが腰を抜かしている小坂さんを見下ろした。「わたしは正式に、貴方を名誉毀(き)損(そん)で訴えます。顧問弁護士にはもう、訴訟を起こす準備を整えてもらってるので。ちなみに貴方、事務所をクビになってて後ろ盾はなくなったんですよね? というわけで、訴える相手は貴方個人です。覚悟しておいて」 わたしは次の一言で、彼に完全にトドメを刺した。「この件で、貴方は完全に社会から抹殺されるでしょうね。ご愁傷さま。女をなめるのもいい加減にして!」 この後パトカーが到着し、小坂さんは警察へ連行されていった。前もって内田さんが通報していたのだ。 こうしてイケメン俳優への反撃作戦は幕を下ろしたのだった。
「わたしの親友が貴方のファンなんです。五月に豊洲で主演映画の舞台挨拶なさってたでしょう? 彼女、部活があったから行けなくて残念~って言ってました」 これも真赤なウソっぱちだ。里歩はその頃とっくに彼のファンを辞めていたので、行きたがるわけがないのだ。「へぇ、そうなんだ? 嬉しいなぁ」「豊洲っていえば、ちょうどあの日、わたしもあのショッピングモールにいたんですよ。彼氏と二人で。偶然ですねー」 わたしは彼が気をよくした手ごたえを得ながら、ちょっと強気にカマをかけてみた。「へ、へぇー……。すごい偶然だねぇ。っていうか君、彼氏いるんだ? もしかして、撮影の時に一緒にいたあの男?」 彼は平然を装っていたけれど、明らかに動揺していた。わたしはこんな言葉使わないけれど、里歩や真弥さんなら「ざまぁ」と言うところだろう。「ええ。八歳年上の二十六歳で、わたしの秘書をしてくれてます。お金持ちの御曹司っていうわけじゃないですけど、すごく優しくて頼りになるステキな人です。実はわたしたち、結婚も考えてて。でも彼は決して逆玉狙いなんかじゃなくて、わたしのことを本気で大事に想ってくれてる人なんですよ。わたしも彼のこと、すごく大切に想ってます」「へぇ…………。じゃあ、なんで君は今日、俺を誘ってくれたの? そんな挑発的なカッコして、コロンの匂いまでさせて。……もしかして、俺を誘惑しようとしてる? 彼氏から俺に乗りかえるつもりとか」 この人、どこまで自分大好きなんだろう? きっと今までも、こうやってどんなことも自分に都合のいいようにしか考えてこなかったんだろう。「まさか」 わたしは鼻で笑い、彼をどん底に突き落とす宣告をした。「貴方が、その大事な彼を貶めるようなことをしたから、反撃しに来たんです。貴方が裏アカまで作って、彼に嫌がらせをしてきたから。わたしが分からないとでも?」「……っ、このアマ……」「ちゃんと調べはついてるんですよ。だからわたし、逆にそのアカウントを利用しようって考えたんです。貴方の本性を、ファンのみなさんにさらけ出すために。こうやって誘い出せば、プレイボーイの貴方のことだから食いついてくれるだろうと思って。でもまさか、こんなにホイホイ誘いに乗ってくるなんて思わなかった!」 ここまで上手く引っかかってくれるなんて思っていなかったので、わたしは笑いが止まらなくな
――わたしと〈U&Hリサーチ〉の二人で決めた作戦は、小坂リョウジさんの裏アカウントにDMを送り、真弥さんがそのアカウントをハッキング。彼をウソの誘い文句でおびき寄せて二人で会っているところを真弥さんに乗っ取った彼の裏アカでライブ配信してもらい、彼が本性を現したところでそのことを彼に暴露するというもの。よくTVのバラエティーでやっているドッキリ企画に近いかもしれない。 万が一のことを考えて、わたしは内田さんと真弥さんと連絡先と名刺を交換した。貢の携帯番号も教え、わたしの身に危険が迫った時には最終手段として彼に知らせてほしい、と内田さんにお願いした。 この作戦については話していないけど、調査については貢にも伝えてあった。調査料金として五十万円を支払ったことには、「そんな大金を払ったんですか!? 絢乃さん、金銭感覚バグってるでしょう絶対!」と呆れられた。わたし自身もそう思うけれど、彼を守るためなら一億円出したっていい。彼の存在は、決してお金には代えられないから。 顧問弁護士である唯ちゃんのお父さまにも、小坂さんを訴える準備をして頂いた。真弥さんにもらった調査内容はその証拠としてお預けした。ただ、正規ではない手段で手に入れた情報なので証拠能力がどうなのかは分からないけれど……。 ――そして、作戦決行の日が来た。 その日は土曜日で、貢には前もって「ちょっと用事があるから」とデートの予定を外してもらった。 内田さんの事務所を訪れてから決行日までの数日間、わたしの様子がおかしかったことは彼も気づいていたかもしれない。もしかしたら彼は、わたしの浮気を疑っていたかもしれないけれど、その心配なら皆無だ。内田さんには真弥さんという可愛い恋人がいるわけだし、わたしには貢しかいないのだ。 SNSでの誹謗中傷は、もうこのネタが飽きられていたのかパッタリ止んだ。その代わり、真弥さんが調べてくれた小坂さんのある情報が、Xで拡散されていった。彼はお付き合いしていた女性と破局するたびに、リベンジポルノを仕掛けていたらしいのだ。――これもまた、三人で練った作戦の一部だった。 普段よりちょっと露出度高めの服装をして、わたしは新宿駅前でターゲットを待ち構えた。少し離れた場所では、自撮りするフリをしてアウトカメラでスマホを構えた真弥さんと内田さんも待機していた。「――CM撮影の時以来かな